沖縄県人移民百周年を記念した開拓先没者追悼慰霊法要が、二十三日午前十時から聖市リベルダーデ区の同県人会館大サロンで開かれ、母県からの慶祝団をはじめ各国の県系人など超満員となる約七百人が出席した。 移民百周年にちなんだ百個の菊の花と、六世代におよぶ現在の日系社会を表した漢字の「六」をあしらった舞台上では、野村流古典音楽協会、同音楽保存会、琉球筝曲興陽会、同保存会による献楽の儀、県費留学研修生OB、ぶくぶく茶ブラジル支部による献花・献茶の儀が厳粛に執り行われた。 引き続き、曹洞宗南米別院仏心寺の采川道昭導師が読経。与儀昭雄実行委員長は追悼の辞として、笠戸丸移民から続いてきた先人の苦労を偲び、現在の沖縄県系人が四世までで約十五万と、日系社会の一割を占めることに言及。今年創立八十二年を迎えた県人会の理事も二世が主体となる中、「いちゃりばちょーでー(会えば皆兄弟)」「ゆいまーる(結びつき)」の教訓を維持伝承していくことを誓った。 仲井眞弘多県知事の弔辞を安里カツ子副知事が代読。高嶺善伸県議会議長、宮城篤実市長村四団体代表に続き、笠戸丸県人移民子弟代表で故・金城山戸氏の娘である熊谷美代子さんが舞台上で追悼の辞を読み上げた。 日本人初の歯科医として活動し、移民八〇年祭前日の八八年六月十七日に亡くなった父親の人生を振り返った熊谷さんは「先駆者移民の貴重な遺産に対し、敬意・尊敬の意を表します」と述べ、先人の教えを守っていく意志を強調した。 出席者全員による焼香、導師説教により、慰霊法要は恙なく閉会した。 慰霊法要委員長の宮城滋氏は無事終えたことに安堵しながらも、「これまで発展できたのは先輩方のお陰。本当に百周年にふさわしい法要でした」と、満足した表情を見せていた。 (写真:百個の菊と「六」をあしらった飾り付けが行われた慰霊法要) 2008年8月27日付
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